(これは2009年に 英語で書いたブログを日本語に訳したものです。)
私の出産の経験の話です。
妊 娠中 どこで出産するか、と色々と考えプランしました、どこか自然の中で出産したい、と考えていました。 友人の何人かが 彼らの家や いくつかのアイデ アをくれていました、が 結局、私の子供の出産儀式は 子供の父の家の裏庭ですることにしました、そこは まだ”自然”に近いし 便利でもありました。
私 は その場所に キャノピーをたて インド・サリや 薄い布、ウィンド-・チャイムやキャンドルなどで デコレーションしていました、そして 水中(風 呂)出産の予定でした。 そして そのおなかの子供の父は その場所に 私の出産中に水の音が聞こえるように、と 小さな噴水のある池を作っていてくれま した。
私の出産の経験の話です。
妊 娠中 どこで出産するか、と色々と考えプランしました、どこか自然の中で出産したい、と考えていました。 友人の何人かが 彼らの家や いくつかのアイデ アをくれていました、が 結局、私の子供の出産儀式は 子供の父の家の裏庭ですることにしました、そこは まだ”自然”に近いし 便利でもありました。
私 は その場所に キャノピーをたて インド・サリや 薄い布、ウィンド-・チャイムやキャンドルなどで デコレーションしていました、そして 水中(風 呂)出産の予定でした。 そして そのおなかの子供の父は その場所に 私の出産中に水の音が聞こえるように、と 小さな噴水のある池を作っていてくれま した。
私は その時、39歳、もう ほとんど40になる、という時でした。 この出産は 私にとって初めて、そして明らかに最後の経験でしょう。 私の友人達や家族は とても私を心配し、病院での出産を勧めていました。 けれど、私は 40になる そして 人生にも 私個人にも 欠陥だらけ そして その子供の父とは結婚もしていない私、 この広い地球に ゴマンといる女性の中から 母となるには 決して ”十分” でない こんな私を選んでいる おなかの子供に ただ病院での出産は フェアでない、と思いました、・・・ この子は こんな私を選んだ、・・・ 私は 心から その子供のチョイスを光 栄に思い 何か 私なりの特別な歓迎儀式をしたい、と思っていました。
医者は 2日の予定と 伝えましたが、私は なぜか この子は 7月7日に生まれてくる、と感じていました。 私は お産婆さんが見つかるまで 普通の産婦人科に 最初の数ヶ月通っていました。
もちろん、これは私の最初の経 験、そして 私の家族と離れた 外国での出産、ですので 家族達は 心配以外に何もできないでいました。 私は妊娠を知ると同時に 住んでいた都会を離れ 子供を育てるのに、と ちょっと田舎を探しました、そして 結局、息子の父親の住む町へ引越しました。 私は とても幸運で 新しい町で 私の妊娠中 色々と助けてくれる人達が 回りにいました、そして 彼らにより 私と同じ世代の ロリーン と ローラ、2人のお産婆さんに出会いました。
私 は その出産儀式のための場所とは別に 自分の家も その子供を歓迎する為に 準備していました。 そして そこには 私にとって 本当に ”古い友達”、妊娠の最初から とてもサポートしていてくれている、 トニー が 約400キロ離れた彼の家から 手伝いに来てくれていました。 妊娠中、私は その子供の父の裏庭の出産儀式の場、と 自分の家を 行ったり来たり、 と 休みなく、忙しくかけづりまわっていました。 そんな中、トニーが私の家に滞在中 ある日、私の家に 何かが浮かんで動いている、といい始めました。 私は もちろん、「おばけ」は大の苦手なので とても怖がりましたが 彼は それは 「お化け」ではない、けれど 一体何なのは 分かりませんでした、が 暗いスピリットでないのだけは 断言していました。 そして 彼は その浮かんだ物 体を 毎夜 私の家の中に見るようになりました、そして その物体は やっと トニーに その姿を見せ 私に 今までしていることを止めるようにと忠告し ました。 その物体は 私のおなかにいる子供の 2人の守護天使でした。 私は あまりにも 忙しく働き過ぎで 流産の危険のため その天使たちは 彼ら の次元から 私を止める為に 出てこざるおえませんでした。
彼ら、天使、は トニーを通して 私が彼らとコネクト&見えるようにと 助けてくれていましたが 私 には 彼らを 全然、見ることも 聞こえることもできませんでした。 けれど 妊娠を発見したばかりのころ ちょっとした経験は憶えています。 それは 私が まだ 妊娠の発見に対して 私の高齢もあり その子供が 果たして 無事、最後まで出産を乗り越えられるか定かでない時の出来事です。 妊娠発見の 数週間後のある夜、睡眠に入る中の 暗闇の部屋、ベッドに仰向けに寝て 天井を見ていました、すると そこに 虹のような色が見え始めまし た、それは とても薄~い布が それぞれに舞っているようで それは そのお腹の子供の 真上でした、 まるで そのお腹の子供の スピリットの友人達が その子供に ”お別れの旅立ち” への 儀式か何かのようでした、 それは たぶん、数分の出来事だったように記憶しています。 けれど それを目撃した私は 「この子は 元気に生まれてくる」 と確信を与えてくれるものでした。 そんな記憶もあり、その出産の儀式の場に 薄い布を使うことに決めていました。
それ は 7月6日の 朝5時、6時頃、お腹の痛みが始まりました。 様子をみて 数時間後に お産婆さんのロリーンに電話をして そのことを伝えました。 そ してお互い、出産は 次の日だね、と話していました。 ところが その後 その痛みは 急激に進み すぐに お産婆さんを呼ぶ必要がありました。 それど ころか 私は その陣痛の始まりにより あんなにがんばって用意した出産儀式の場所、その子供の父の裏庭は ほんの数分のドライブにもかかわらず、へ 行ける情態ではありませんでした。 子供の父は ビジネス・トリップで 次の日に帰ってくる予定でした。 お産婆さんたちが来る前に トニーが居てくれま した、彼には 息子はいましたが もうかなり前のこと、私の陣痛の状態を どうしていいか戸惑いながらも 私の背中を摩っていてくれました。
その 痛みは 創造以上の激痛でした、もちろん、母なる友達や 私の母、お産婆さん達は その”痛み”の話はしていてくれていましたが 過小評価していまし た、って もちろん 経験がないので 計る基準がなかったですが、 けれど 今までの自分の肉体的に支障があった部分、肩こりとか 腰痛とかいったものが 数十倍もの痛みとなって訴えていました。 それにより 私は 母となる私たち女性の体は 色々な面で 健全に管理されておかなければいけないのだ、と実感し学んでいました。 子供を産む、ということが どれほどの ”大仕事” であるか、すごい経験です。 (女性は 母となりえるその肉体の健康を保たなければいけない、けれど 父となる男性たちも、つまり 全ての人類は健康を保つ義務があるはずです。)
私は その陣痛と どう対処し てよいか分からず その激痛が来るとともに ただ叫ぶばかりでした。 ロリーンは 陣痛の中に埋もれてしまっている私に どう呼吸をするか そして 声 (叫び、笑)を 低くするか、を指示し続けました。 私のその困惑の中で その指示に従いました、が 実際は ”トライ” していた状態で 彼女のその指示通りに ”たどり着く” までには ちょっと時間がかかっていました。 けれど その声を低くする、ということが 出産へのグラウンディング (地に着く)になり 集中する助けになる、ということを 理解しはじめました。(一種の サンスクリットの OM に近いです) そして その指示により 気が地に着き始め それにより お腹の中の子供との 再コネクションが始まりました、「この子は 私を選んだ、こ の子を信じるべきだ」と。 お産婆さんの指示に従いながらも お腹の子供に集中しました、そして その陣痛の意味を理解し始めました。 その痛みは お腹 の子供とのコミュニケーションだったのです。 私は その激痛が来たときに プッシュしました、そして 痛みが無い時は 休みました。 出産後、私のお産 婆さんは 私の最初の ”叫び” にもかかわらず、とても 穏やかな平和な出産である、と私に伝えました。
お産婆さん達は 時々 私から離れ 二人で声をひそかに 何かを話し合っていました、彼女たちの声は まるで天使のささやきのようでした。 彼女たちは 決して 私の空間を邪魔することなく、そして 決して デマンドせず、声をあげて指示するなどという ことは 全くなく 私の その出産スペースを 尊重していてくれました。 彼女たちは 決して ”ボス” にならず ただ その空間に存在し 出産へのガイド&サポートをしていてくれました。
私は 少し距離をおいたところに トニーをみていました、彼は お祈りをしているように ちょっ と心配した様子でした。 そして後になり 彼はとても心配していて その私の子供の守護天使に その出産を助けるように、と頼んだそうです。 彼は その 出産現場に ものすごい ”ボーッテクス” (エネルギーの渦) を 目撃していました、そして その天使は その渦から出てきて 「お産婆さんは 何をしているか ちゃんと理解しているので 何の心配もいらない」 と 彼をなだめた、と 私に伝えてくれました。 そして それは ほとんど 出産の少し前でした、約15秒ほどだったと思いますが ドルフィンのシルエッ トが 私の目の前に現れ 消えました、そして その後、 お産婆さん達と そのお腹の子供の ガイドにより 美しい男の子が 私の世界に現れました。 私 は その男の子を 私の腕の中に抱いた時、 彼は 私の目を まっすぐ見て テレパシーにより 「銀河を超え とっても遠くから来たんだ」と 話してくれ ました、それは 後、彼の父も聞いた、ということです。 陣痛が始まっていたにもかかわらず 破水はかなり後のため、 お産婆さんは 4時間の分娩と 私 に伝えました。 そのお産婆さんと 私の息子の 美しいチームワークにより 私は 私の人生で もっとも美しい経験をしました。
最初、産婦人科の医者へ行ったとき、子 供の性別を知ることを拒否しました、しかし、私は それは 男の子である、という 強い予感を すでに感じていました、そのせいで 名前もすでに考えてい ました。 英語では 誕生は Birth です、Be-Earth、地球にいる(なる)、 そして その 私にとっての その息子の 「誕生」のジャーニーは まさに カオス (困惑) から オーダー (静粛・秩序) の ビッグ・バン でした、
そして 息子の名は 「宇宙」です、・・・ Be Earth, Universe、・・・ 宇宙、地球となれ。
The universe is the combination of a thousand elements,
and yet the expression of a single spirit
-- a chaos to the sense, a cosmos to the reason.
-- H. P. Blavatsky, Isis Unveiled, 1:xvi
宇宙は 千にもなるエレメントのコンビネーションである
しかし それは 一つの スピリットの エクスプレッションである
- カオスは 感じることへ、コスモは 理由、 その正当化された形へ
-- H・P・ブラバッキー
(私による翻訳です)
-
そして 今、妊娠&出産を経験した後、私は 沢山の人達が まちがったアイデアを 妊娠&出産に対して持ている、ということを感じます。
なぜ 母親となる者が 9ヶ月(日本では10月10日、といいますが)という長い間 身ごもるか、
それは ただ 生物学的な成長の為だけでしょうか?
私が思うに その期間は お腹にいる赤ちゃんとの 信頼、そして コネクションを深めるものだと思います。
その間、医者や専門家、または 家族などの話に 耳を傾け その情報に頼るのではなく、
その自分の体の中で その母となる魂を信頼してやってきた その勇気ある魂に耳を傾けるべきだと思います。
”誕生” とは 私たちの人生の最初のチャレンジです、
けれど、母(親)となる者は 外の意見に頼りがちです、
または それを超えた 医学的な処置にまで ゆだねがちです。
私たちのほとんどは その人生の最初の 神聖なるチャレンジを奪われて生まれてきています、
そして その始まりから さらに ワクチンや 製薬に頼り 育ちます。
その習慣により 私たちは 私たちの 気 (プラ-ナ)、根源の源とのアンテナ、を通しての
私たちのうちに潜む英知と智慧を 信頼する、という 「発見」さえしません、
そして そのコネクションは 人生を通して 奪われ続けます。
私たちは 誕生の瞬間 (または それ以前) に 既に 不安と心配へと導かれ
その結果、多くの私たちは 自分を見失ったり 病気になっています。
私の息子は 私の精魂こめた ”ファンシーなプラン” (自然に近い場所での水中出産儀式) にもかかわらず
”平凡なホーム出産” を選択して生まれてきました。
けれど 彼の ホーム出産の選択により
彼は 本当のプレーンな出産とは何かの基本を 私に教えてくれました、
それは ”そのお腹の子供を信じる” と いうこと、
”そのお腹の子供と一緒にいる” と いうこと。
そして この話を できるだけ多くの人とシェアする、ということ、
それにより 未来の子供たちとして 生まれてくる魂達の ピュアなパワーが
その母となる者達により 彼らの誕生のプロセスで 信じられて 生まれてこれる為に。
私たちの多くは 誕生日を軽視しがちです、 しかし この美しい出産のプロセスを経験した者として
私は 誕生日とは どんな形の妊娠であるにせよ、
私たちの人生にとって もっとも 神聖な日であると思います。
そして、私たちは 人生を通して 色々な意味で ”痛み” を 経験します、
けれど その 痛みの中のカオスは クリエーションとリバレーション (開放)のための
新しい世界を生み出すための 発芽情態です。
もし 私たちは その誕生と成長の過程を 本当に理解できたら
私たちは 美しく 拡大し、(拡大は 私たちの自然の姿です)
そして それは 宇宙の自然な動きです、
したがって 私たちは 宇宙なのです。
バースデイ、Birthday、 Be Earth Day, 私たちが 肉体を持って 地球の為に 地球に下りてきた日、
私たち それぞれが この官能的で 美しい優雅な惑星に下りてきたことに
偉大なる感謝と共に 盛大に祝うことを望みます。
ちょっと 想像して見て下さい、
毎日 この惑星の沢山の人達が 喜びと感謝と共に
それぞれの Be Earth Day を 祝っていることを、
それは 恐怖や 不安、怒りや心配を 循環しているよりも
はるかに 心地よいと思いませんか?
(追伸: けれど 今の私たちの世界には 変化のために 健康な炎を とても必要とされています。)
これは 出産数日前に お産婆さんのロリーンの林のような裏庭で
彼女によって撮ってもたった写真。
お腹には インドのへナ・ペイントしていたのですが、
この頃は お腹がとても大きく、なかなか自分で見れませんでした、笑。
最初は小さいと心配されたお腹、最後になって ぐっと大きくなってくれました。
ここに 私からの 心からの特別の感謝を 下記の人達へ贈ります:
ロリーン、ローラ、トニー、Leheburger 夫妻、カイオム、ファマ、
トム、モンティ、シアモノ、大、政美、カズー、アヤ、
スコット、そして 次江
彼女によって撮ってもたった写真。
お腹には インドのへナ・ペイントしていたのですが、
この頃は お腹がとても大きく、なかなか自分で見れませんでした、笑。
最初は小さいと心配されたお腹、最後になって ぐっと大きくなってくれました。
ここに 私からの 心からの特別の感謝を 下記の人達へ贈ります:
ロリーン、ローラ、トニー、Leheburger 夫妻、カイオム、ファマ、
トム、モンティ、シアモノ、大、政美、カズー、アヤ、
スコット、そして 次江
mermaidsutra.net